Portrait of a Legend:Mark Cunningham|レジェンドの眼差し。マーク・カニンガムが海に見出す、不変の景色。|Experience|SAISON Luxury Lounge
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Portrait of a Legend:Mark Cunningham|レジェンドの眼差し。マーク・カニンガムが海に見出す、不変の景色。

なぜ伝説の男は、波の上を去り、海が運び届ける「欠片」を拾い続けるのか。
かつてノースショアの巨大な波に身を捧げたライフガードであり、その泳ぐ姿が「芸術」と称えられた希代のボディサーファー、マーク・カニンガム氏。
生と死が隣り合わせの最前線から、海がもたらす名もなき造形との穏やかな日々へ。
対峙するものが変わっても、海を見つめる彼の在り方は今も昔も変わることがない。
そんな彼の創作の地平に迫ります。

波の最前線に立った20年

世界中のサーファーが畏敬の念を抱く聖地、オアフ島ノースショア。
そのなかでも最も美しく、最も危険な波が牙を剥くエフカイ・ビーチパークの「パイプライン」の真正面に、彼の定位置はありました。

ライフガードとして20年、マーク・カニンガムは、文字通り「生と死の境界線」に立ち続けてきた男だ。
怒涛のように押し寄せる巨大な水の壁に身を投じ、翻弄される人々を救い出す。
その過酷な任務の傍らで、彼はもう一つの顔を持っていました。

道具を一切使わず、自らの肉体だけで波と一体化する「ボディサーフィン」。
フィンだけを装着し、波の斜面を滑走する彼の姿は、見る者に「人間がこれほどまで海と調和できるのか」という驚嘆を与えた。
無駄な動きを削ぎ落とし、水の流れに身を委ねるそのライディングは、いつしか「芸術」と称されるようになります。

四半世紀にわたり、荒れ狂う海と対峙し続けてきた膨大な時間。
波のうねりや水の揺らぎ、光の移ろいといった「海の断片」を無意識に捉え続けてきたその眼差しが、今、波打ち際に届いた欠片を拾い集める創作へと繋がっているのは、ごく自然なことなのかもしれません。

↑カイルアの自宅にて。自らの蒐集と暮らしの調和について、静かに、時に少年のような笑顔で語る70歳のマーク・カニンガム氏。

海が届ける記憶

ライフガードを退いた今も、マークの生活の中心には、変わらず海があります。
しかし、その視線は波の頂点を追うのではなく、潮が引いたあとの砂礫や、岩場の奥深くへと向けられています。

彼が探し求めているのは、海という巨大な存在が長い年月をかけて飲み込み、その姿を変容させた「かつての日常」の断片です。
サンゴが根を張った片方のフィンや、石灰化したスパークプラグ。
錆びついたライター、さらにはカリフォルニアの漁業組合のタグや、日本から流れ着いた漁具の欠片まで。

「これらは海からの贈り物であり、時間の結晶なんだ」

本来の役割を失い、海の一部と化した数々の漂着物。
マークは、波打ち際に届けられたそれらを、一つひとつ慈しむように拾い上げる。
それは、海が数十年かけて綴った物語の、最後の一行を読み解くような、彼にとってとても大切で静かな時間なのです。

↑海底で数十年の時を刻み、波と砂に削られたフィン。白く石灰化したその質感にはすでに、海というアーティストの息遣いが宿っている。

↑数千キロの旅を経て流れ着いたガラスの浮き。かつて漁具として使われていた漂着物が、今はマークの家の片隅で、静かに時の流れを伝えています。

作為なきデザインへの敬意

ここで、一つの疑問が浮かびます。
なぜ、最強のウォーターマンと呼ばれた彼が、これほどまでに削ぎ落とされた表現へと辿り着いたのでしょうか。
その答えは、彼が誰よりも純粋な蒐集家であるという点に尽きます。

マークの創作スタイルは、驚くほどシンプル。
海で目に留まったものを拾い、そのまま自宅へ持ち帰る。
一切作為はありません。

「僕が何かを付け加える必要なんてない。海がすでに、何十年もかけて最高の形にしてくれているからね」

 その言葉通り、海が作り出した錆の深みや、砂が削り出した柔らかな曲線を、ありのままに提示します。
それは、失われた道具たちが海という巨大なゆりかごの中で、長い年月をかけて「自然物」へと還っていくプロセスを、そっと掬い上げるような行為です。

自らの意志で形を捻じ曲げるのではなく、海が施した意匠を尊重し、ただそこにある美しさを信じる。
その徹底したあるがままを活かす美学こそが、彼のアートであり、揺るぎないスタイルなのです。

マークのアート作品の一部。フィンをはじめ、時にはスパークプラグやライター、傘の取っ手といった、かつて誰かの生活の一部だった「落とし物」の物語を汲み取り、“海の断片”を表現しています。

生活と表現が交差する、ワイアラエ・ヌイ・リッジの日常

海から拾い上げられた断片は、マークの手を経て一つの表現となり、やがて誰かの元へと渡っていきます。
ただ、彼にとって創作の根源は、あくまで家族との穏やかな日常の延長にありました。

ワイアラエ・ヌイ・リッジの自宅では、「海の記憶」を宿した造形たちが、日々の暮らしに溶け込んでいます。
ともに並ぶのは、アートへの深い造詣を持ち、長年ローカルアーティストを支援してきた妻・ケイティの選んだ作品たちです。

海が長い年月をかけて削り出した無垢な造形と、人の情熱や哲学が宿るコンテンポラリーな表現。
出自の異なるそれらが、ここではごく当たり前に手を取り合い、一つの確かな世界観を形づくっています。

マークにとっての創作は、自分たちが愛する家での時間をより鮮やかに彩るためにあるのかもしれない。
海から届く名もなき造形たちは、その静謐な幸福を完成させるために欠かすことのできない、最後の一片(ピース)なのでしょう。

↑自分たちが好きなものだけに囲まれて過ごすマーク夫妻。

↑マークが拾い集めた「海の記憶」(左)と、ケイティが選んだ作品(右)が調和した自宅内。

「自然の一部」として、「今」を生きる。

「ショートパンツに裸足で駆け回っていた少年時代から、私の心は何も変わっていない」

かつて、日々荒波と対峙する命の最前線に立っていたレジェンドは、今、自然の微細なリズムに自らを調律する、静かな日々を送っています。
ラナイ(テラス)で鳥の声を聞き、ワインを片手に波の音に耳を澄ませる。
海から届く名もなき欠片に耳を澄ませ、ただ「自然の一部」として呼吸する。
その作為なき生き方は、効率や利便性に追われる私たちに、あるがままに生きることの豊かさを、静かに、示しているかのようです。

↑緑に囲まれた開放的な佇まい。光と風が、ありのままに通り抜ける。

Mark Cunningham|マーク・カニンガム

1956年、アメリカ・マサチューセッツ州生まれ、ハワイ州ホノルル育ち。伝説的なボディサーファーであり、元ライフガード。オアフ島ノースショアのサンセット・ビーチやパイプラインで20年近くライフガードを務め、数多くの人命を救うとともに、ボードを使わず体一つで波を滑る「ボディサーフィン」を芸術の域にまで高めた。その流麗なスタイルは、プロサーファーからも「世界で最も美しい波乗り」と称賛される。現役引退後は、フリーダイビングで回収した漂着物をアートへと昇華させる活動を行っており、自然との深い繋がりを大切にするその生き方は、多くの人々にインスピレーションを与え続けている。